実業家ボブ・ウォーカーとアルバート・エディがレディッチ・ハントエンドのジョージ・タウンゼンド社を購入。タウンゼンド社は針の製造工場として50年の歴史と名声を誇り、自転車製造も手掛け初めていました。
両名はミドルセックス・エンフィールドのロイヤル・スモール・アーム・ファクトリーに精密部品を供給する契約を獲得。この栄誉ある注文を祝し、彼らは社名をエンフィールド・マニュファクチャリング・カンパニー・リミテッドに変更し、ボブ・ウォーカー・スミスがデザインした初の自転車には「ザ・エンフィールド」の名称を冠しました。翌年、彼らの自転車は更に「ロイヤル・エンフィールド」と名称を変更し、トレードマークの「メイド・ライク・ア・ガン」が導入されました。
ボブ・ウォーカー・スミスが、同社初の原動機付きの乗り物をデザインします。「Quadricycle(クアドリサイクル)」として知られるその製品は、2台分の頑丈な自転車のフレームをベースに、ディオン社独自の1.5馬力エンジンを積みました。最終的に社名は、以降70年に渡り続く「ザ・エンフィールド・サイクル・カンパニー・リミテッド」と決定されました。
同社のクアドリサイクルの一台が、初の1000マイルトライアルに出場したことをきっかけに、ロイヤル・エンフィールドはモータースポーツの研究を開始します。ロンドン-エディンバラ間を往復する、過酷なクロスカントリールートを辿るこのイベントは、英国の人々に動力を持つ車両の可能性を大いに確信させました。
初のロイヤル・エンフィールド・モーターサイクルが製造されます。ボブ・ウォーカー・スミスとフランス人ジュール・ゴティエの設計による車両は、ステアリングヘッドにミネルバ製1.5馬力エンジンを搭載。リアホイールは、長尺の革ベルトで駆動されました。
ロイヤル・エンフィールド初の、2ストローク・モーターサイクルが本格的に製造されました。英国が第一次世界大戦に参戦すると、同社最大排気量となる770cc、6馬力、Vツインの製造が優先されます。戦時下において、同社のバイクは、英国、ベルギー、フランス、米国、帝国ロシア軍にも供給されました。
継続的な開発によって、モデルレンジは8モデルに増えます。これには、ロイヤル・エンフィールド初の350ccOHV 4ストロークバイクで、足によるギアチェンジ装置を採用したスポーツモデル351が含まれます。また、ユニークな225cc 2ストロークステップスルーの「レディーモデル」が導入されたのもこの時です。
ロイヤル・エンフィールドは時代遅れとなったフラットタンクに代わり、サドルタンクを採用します。また、フロントフォークシステムを、ドルイドデザインからセンター・スプラング・ガーダー・フォークに初めて変更したメーカーの一社でもあります。
この10年は225cc 2ストロークモデルAから976ccのVツインモデルKまで、幅広く11種類のモデルを展開します。ドライサンプ潤滑の新型350と500ccサイドバルブ、オーバーヘッドバルブマシンも誕生します。
伝説のバイク「バレット」が誕生し、1932年11月、ロンドンで行われたオリンピアモーターサイクルショーにてお披露目されます。250、350、500ccとタイプは3種類。すべて傾斜型「スローパー」エンジン、ツインポートシリンダーヘッド、フット操作ギアチェンジ、高圧縮ピストンを搭載しました。
セシル・バロウは500ccのバレットでマン島TTに出場し平均時速74マイルで8位に入賞しました。この年をもってロイヤル・エンフィールドはレースへのスポンサードを終了しました。翌年、4バルブシリンダーヘッドを搭載した新しいスポーツバージョンモデルJFとしてリリースされました。
第二次世界大戦中、ロイヤル・エンフィールドは数多くの軍用バイク、自転車、発電機、対空火器予測システムなどを供給しました。中でも最も象徴的なモデルはフライング・フリーとして知られる、125cc「エアボーン」バイクです。この126cc2ストロークは特製のバラシュートクレードルに積載し、空挺部隊と共に敵の背後に投入することが出来ました。
コルモアカップトライアルで、革新的な油圧スイングアームをリア・サスペンションに装備した、戦後の350ccバレットプロトタイプが発表されます。2台のバレットは、1948年ISDT(インターナショナル・6デイ・トライアル、イタリア開催)において優勝した英国チームの一員でした。2人のライダーは共に金メダルを獲得します。
英国で新型の350ccバレット、500ccツインモデルを発表。2台は共通のフレーム、スイングアームサスペンション、テレスコピックフロントフォーク、そしてギアボックスを持ちます。K.T.サンダラム・アイアが、ロイヤル・エンフィールドを含む英国バイクをインドに輸入するため、マドラス・モータースを設立しました。
ロイヤル・エンフィールドのスターライダー、ジョニー・ブリテインが、栄誉あるスコティッシュ・6デイ・トライアルを、350ccバレット(HNP331)で優勝。
レディッチの企業がインドのマドラス・モータースと提携し「エンフィールド・インディア」を設立。マドラス近郊のティルボッティユールにおいて専用工場を建設します。
ティルボッティユールの工場が稼働、ライセンス契約に基づきバレットの生産が始まります。当初これらのマシンは英国よりキットの形で送られ、マドラス工場で組み立てられていました。この年の終わりには、163台のエンフィールドインディアバレットが製造されます。
ジョニー・ブリテインがスコティッシュ・6デイ・トライアルでバレットに乗って2度目の優勝を飾り、ブリティッシュトライアルチャンピオンシップにおいてもトップを獲得。250ccクルセーダーモデルが英国で発売されます。このモデルは13馬力で、ユニット構造エンジンとコイル点火式オルタネーターを搭載していました。
象徴的な一台となるコンティネンタルGTカフェレーサーが発売され、ジャーナリストチームが、シルバーストーンサーキット8周を含めてジョン・オー・グラッツからランズエンドまでを24時間以内で走りきり大絶賛を受けます。このGTモデルはファイバーグラス製のレーシングガソリンタンク、クリップオンハンドルバー、リアセット、ハンプ付きレーシングシート、レブカウンター、スイープバックエグゾーストなどを備えていました。
年頭には250ccのコンティネンタルGTと736ccインターセプターの2モデルのみの製造となり、ロイヤル・エンフィールドのレディッチ工場は閉鎖。デベロッパーに売却されました。インターセプターの製造については、ブラッドフォード・オン・エイボン近郊のアッパーウエストウッドにあるエンフィールドの地下施設において、1970年6月まで続けられました。
エンフィールド・インディアが、350ccバレットの英国向け輸出を開始。クラシックバイクファンの支持を受けて販売は急速に伸びました。
エンフィールド・インディアが、350ccバレットの英国向け輸出を開始。クラシックバイクファンの支持を受けて販売は急速に伸びました。
エンフィールド・インディアは、世界初の量産ディーゼルバイクを開発します。エンフィールドディーゼルとして知られ、好燃費の325ccパワーユニットがスタンダードバレットローリングシャシーに搭載されました。
商用車・トラクターメーカーのアイシャー(Eicher)グループが、エンフィールド・インディアリミテッドを取得します。アイシャーは1948年にインドで設立された企業で、社名をロイヤル・エンフィールド・モータース・リミテッドに改称しました。
40台のロイヤル・エンフィールドが、世界最高の標高を有する道路「カルドゥンラ峠」に登りました。これは最難関の地形を走破するライドの前例となると共に、毎年開催されるヒマラヤ・オデッセイ・ライドへの布石となりました。
オーストリアAVL社のデザインにより、ラジャスタン州ジャイプール近郊のロイヤル・エンフィールド新工場において、350ccオールアルミ製リーンバーンバレットエンジン、A350の製造が開始されました。
ジャバルプルのインド陸軍信号部隊のバイクチーム「デアデビルズ」が、10台の350ccバレットの上で201名による人間ピラミッドを作り、200m以上を走って世界記録を達成します。
スタイリッシュなリーンバーンクルーザー「サンダーバード」発表。1960年以来ロイヤル・エンフィールドで初となる5速ギアボックスを搭載。ロイヤル・エンフィールドオーナーズクラブ主催のイベント「レディッチ・リビジテッド」において、1000台以上の様々な年代のロイヤル・エンフィールドが、レディッチに集結しました。
500ccのアロイ製リーンバーンエンジンを搭載した輸出用バレット「エレクトラX」発売。レトロスタイルの「バレット・マスキモ」は、TNSオートカーサーベイにおいて「No.1クルーザー」の称号を手にしました。
ロイヤル・エンフィールドはインドで50周年を迎え、サンダーバードとバレット・エレクトラの記念モデルと、「ザ・レジェンド・ライド・オン」(コーヒーテーブルブック)を発売しました。
サンダーバード・ツインスパークがインドで新ユニット・コンストラクション・エンジン(UCE)を発売開始。ロイヤルエンフィールドは、インド初の500ccEFIとなる、ユーロⅢ対応クラシックバイクを、欧州市場向けに投入しました。
500ccUCEエンジンをインドで発売開始。レトロスタイリングのクラシックバージョンは瞬く間にカルト的地位を得て、販売も急増しました。
世界中のロイヤル・エンフィールドライダーを対象に「ワンライド」イベント開催。毎年4月の最初の日曜日に開催されます。ロイヤル・エンフィールドは、新工場建設に向けてオラガダムに50エーカーの土地を取得しました。工場主催の旅行「ツアーネパール」は、初めてネパール国境を越えます。
ロイヤル・エンフィールドが初のハイウェイクルーザー、オールブラック・サンダーバード500を発売。新設オラガダム工場建設が順調に進む傍ら、ティルボッティユール工場では11万3,000台の生産という新記録を樹立しました。
タミルナドゥ州オラガダム工場で製造開始。この最先端工場はロボット塗装設備を整え、ロイヤル・エンフィールドの世界進出において中核となるものです。
最初の市販カフェレーサーを開発してから48年後、RoyalEnfieldは完全新設計のContinental GTを発表しました。 ハリス・パフォーマンスによって設計されたクレードルフレームと535cc UCEエンジンを備えたこの新しいカフェレーサーは、数多くのカスタムビルドのベース車両になりました。
ロイヤル・エンフィールドは、ニューデリー・カーンマーケットに世界初のエクスクルーシブギアショップをオープン。
英国の著名なモーターサイクルデザイン・製造企業であるハリス・パフォーマンスを買収し、エンジニアリングとプロダクトデザインを強化。
ロイヤル エンフィールド ノースアメリカが設立されました。 ウィスコンシン州ミルウォーキーに本社を置く同社は、インド国外で最初の子会社です。
ロイヤル・エンフィールド初のアドベンチャーバイク、「ヒマラヤ」デビュー。新型411cc SOHCエンジンとロング・リーチ・サスペンションを有し、あらゆる道を走破するアドベンチャーライダー向けに開発されました。
英国レスター近郊のブルンティングソープ施設に、ロイヤル・エンフィールド・テクノロジー・センターオープン。100名以上のエンジニア、デザイナー、テスターのチームが研究開発や長期戦略立案を行います。
第三工場での生産開始。チェンナイ近郊のヴァラムヴァダガルの世界クラスの製造施設では、ロイヤル・エンフィールドの350ccマシンを生産します。
イタリア・ミラノで開催されたEICMAモーターサイクルショーとインド・ゴアで開催されたライダーマニアにおいて、新型650ccロイヤル・エンフィールドインターセプターと、コンチネンタルGTが発表されました。また、ロイヤル・エンフィールド初となるカフェ、ロイヤル・エンフィールドガレージカフェをゴア州バガにオープンしました。